パソコンで動くソフトウェア。ワープロの時ならワープロソフトだ。
特別なフォントを使いたい時、ゲームで遊びたい時、各々のフロッピーを入れて使っていた。そこだけ見るとすでにワープロに原点を見いだせる。
インターネットに繋ごうと思えばその方法もあったようだが、一般的ではなかった。パソコンがインターネットに繋がって「PCソフト」は物理的なディスクのみならず、インターネットから直接ダウンロードする形も今では常識になった。
そのスタイルをスマートフォンやタブレット端末が「アプリ」として引き継いでいる。こうしたソフトウェアやアプリの開発者がいて、売り手がいて、買い手が購入所有する。買い手がいるから、開発者がより良いものを開発する。
買い手がいないから開発を止める。資本主義だからこそ至極尤も事である。もしかしたら開発のアイディアは一部の秀才な開発者だけではないかもしれない。
Linuxなどの「オープンソース」はその思想に基づくものだがそれが「なら私もこのソフトを改良してみようかな」と気軽に出来る環境を浸透していくのは、ビル・ゲイツでもスティーブン・ジョブスでもなく、「PCソフト」の役割だろう。「PCソフト」は、誰かが作ったプログラムである。
「ソフトを気軽に改良するソフト」、「オープンソースを一般的にしていくソフト」そんなソフトがもっと広まってプログラミングの世界だったものが、パソコンから飛び越えて、現実の我々の生活をより豊かにする可能性はまだ残っていると思う。